秋葉原の事件が呼び水のようになって、次々と似たような事件が起きているようである。
日本は、何でもない普通の人が、普通に生活している時に、一見、普通に見える人から殺される時代になったようである。
世界各国で、戦争やテロによって多くの人が亡くなっている。
これは、悲しい事であり、忌むべき事である。
しかし、「ちょっと通り掛り」で殺されたのではたまらない。
殺す側の「大義名分」も無いのである。
「むしゃくしゃしていて、誰でもよかった」
そんな言い訳ってあってたまるものか。
海に走って行って、沈む夕日に「バカヤロー!」と言う事で済んでしまうレベルではないのか?
殺された人にとってその理由がどんなものであれ、自分が「死」を迎えるために認められる理由など存在しない。
でも、新聞やTVは、こぞって「犯行の動機」に時間を割く。
散々、推測をしておいて「そんな理由で.....」ともっともらしくコメントをする。
先日の女子中学生の事件の時、NHKの番組に、「少年犯罪に詳しい犯罪心理学者」と言うのが出てきて、「親だの学校だの」と言っていた。
犯罪を犯す少年には詳しくても、犯罪を犯さない少年の方が多い事を知らないらしい。
もっとも、その評論家が接しているのは、犯罪を犯した少年ばかりなのだろう。
犯罪を犯さない少年たちと接する機会はないのであろう。
秋葉原の事件でも、直近の八王子の本屋さんでの事件でも、犯人は「成人」である。
でも、精神構造は「少年犯罪」と同じように思える。
評論家の人は、これも「学校や家庭」のせいだというのだろうか?
会社で、むしゃくしゃするたびに、事件を起こしていたら、私は前科ナン百犯である。
もっとも、その前に、さされている確立の方が高い。
今回も、新聞やTVのメディアは、秋葉原同様、親の所へ押しかけている。
成人した男の犯罪で、「親」がどのように関われと言うのだろうか?
犯罪を犯した者は罰せられなければならないとは、思う。
江戸時代じゃないのだから、親兄弟、親類縁者まで「責任」があるとは思わない。
逆に、自分たちが持ってもいない「社会正義」と言う刃物で、親兄弟に切りつけるのは、言葉の暴力であり、記者たちの常識を疑ってしまう。
記者が自分に「社会正義」があると勘違いするのは、報道メディア、特にTVのワイドショーなどで、倫理観のかけらもない司会者と、なんでも「評論」する俄か評論家に支持されているからであろう。
そして、その番組は、一般民衆の意見として取り扱われるのである。
通り魔の犯罪心理に学校教育が重要な位置を占めるのだろうか?
そうかも知れない。
教員の採用で賄賂が飛び交い、教頭、校長になるにも賄賂が必要だそうである。
もっともそれを指導していたのが、教育委員会だそうである。
今、日本に住んでいる「日本人」で、この問題が大分県だけの「特殊な事件」であると思っている人はいないだろう....と思う。
そしてまた、今年とか去年とか言う「最近」だけの事件だと思っている人もいないと思う。
一般の日本人は、そこまで「間抜けではない」と信じたい。
教員の採用で不正かまかり通る「教育」。
そんな中で、「犯罪」はいけない事。と教える事はできないだろう。
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倫理観とか正義感と「大上段」に構えるのではなく、殴られたら「痛い」とか、呪文をかけても「生き返らない」という程度の所から、伝えていかなけらばならないのだろう。
被害者も加害者も低年齢化して、ちょっとした事が事件のきっかけになる。
悲しい事である。